僕らのお花見
『有栖川公園でお花見をします。なんでもいいから一品持っていらっしゃい』

 専門時代の友人である美穂から花見のお誘いメールが届いた。メールには桜の写真が添付されている。センスのいい美穂らしい気の利いた案内状だ。
 もうそんな季節か。カレンダーを見ると、メールに指定されている日付は来週末だった。今年は暖冬で桜の開花が早かったとニュースで言っていた。こんな先の予定で桜は散ってしまわないのだろうか。

 高校を出て、僕は手に職をつけようという思いつきで服飾の専門学校を選んだ。入学して驚いたのは周囲の意識レベルの高さ。皆それぞれにお洒落な洋服を着て、好きなブランドのデザイナーがいて、街を歩く人を観察してはあれやこれやと意見交換をしていた。
 僕はといえば、正直、なぜ制服がないんだって嘆くような具合で、憧れのミュージシャンはいても、デザイナーの名前なんて一人も知らなかった。どうも場違いなところに来てしまったらしい。とりあえず働けるようになるまでの辛抱だ。そんな具合に陰気臭く、くすぶっていた僕を救ってくれたのがメールの送り主である美穂である。
「今週の土曜日、皆でお花見するの。山本君もおいで」
 ちょっと耳慣れない言葉で声をかけられる。熊本から上京してきたという女の子は、クラスメイトに声をかけて花見を主催するという。
「わたしの下宿の側に、いい広場があるのよ」
 熊本弁なのだろうか。はきはきと喋る彼女のテンポにのせられて僕は参加することを約束させられた。
 当日、ちょっと早めに指定された場所に行くと、大きな桜の木の下にブルーシートを広げて美穂が一人で座っていた。シートの上にはサンドイッチやらおにぎりやら、野菜スティックにお菓子、なんでもそろっている。
「これ、全部自分で準備したの?」
 驚いた僕が尋ねると、彼女は「団子のないお花見なんていけてないでしょ」となんて事もないような顔で答える。それから、僕等は皆がくるまでブルーシートの上でおしゃべりをしていた。二人でっていうより一方的に美穂が喋っていたのだけれど。彼女は息をする暇もないくらい喋りつづけ、僕は緊張する暇もないくらいひたすらにうなずいていた。
 後から聞いた事には、「誰もこなかったらこの大量の食べ物どうしよう」ってドキドキしていたらしい。美穂は、普段は聞き上手だけど、緊張すると必要以上におしゃべりになる。
 約束の時間がきて、一人二人と集ってくる。気がついたときには二十二名のクラスメイト全員が集合していた。始めこそ探りあいという感じでいたが、春の陽気に煽られるように笑い声が響きだす。そのうち、誰かがこっそり持ち込んだアルコールの力もはいってお花見は大盛況のうちに終わった。この日をきっかけにクラスは一気に仲良くなり、僕の心細さもあっという間に吹き飛んでしまった。
 それ以来、毎年この時期になると誰かが言い出しっぺになってこの花見は開催される。卒業して五年目。僕は二年連続で欠席している。それでも誘いのメールが届くのだからありがたいことだ。よくよく考えてみれば満開の時期にあわせて予定を組むなんて無理な相談だった。
 僕は仕事の予定で埋まったスケジュール帳を開くと、桜の花びらのマークを書き足した。
 今週は忙しい。それに、プライベートに予定を入れると仕事が立てこむのがお約束だ。半月前に約束していたデートをすっぽかして残業なんて日常茶飯事で、おかげさまで最近じゃコンパにすらいけてない。

 友人に恵まれたおかげで学校生活は最高に愉しかったけど、最初の就職は失敗だった。テレビでタレントがきている衣装を作っているアトリエ。先生が紹介してくれた会社だったから我慢はしてみたけど肉体も精神も限界だった。
 まずなにより休みがない。給料も安かったけど、使う暇がないのだからそんなことは二の次だ。それから職場の空気が最低だった。勤続三十年のお針子のババアがいて、お局っていうより牢名主って言う感じで居座っていた。ババアの下にはちょっとのろまな感じのおばさんがついていて、陰険ないじめにあっていた。聞いたら、そのおばさんも二十年以上この会社で働いているって言うんだから笑えない。毎日奴隷みたいな扱いを受けて二十年だ。まともな神経じゃいられない。ババアのターゲットは基本的にはそのおばさんだったけど、いつか僕もズボンのポッケをマチ針でさされるんじゃないかってびくびくしていた。結局、半年そこそこでその会社を逃げ出してしまった。
 学校を出て早々に無職になったことで両親からは散々罵られた。でも、とりあえず始めたコンビニのバイトはお気楽だった。手にする給料だって、勤めていた頃と変らない。バイト先の店長はちょっとねちねちしていて気持ち悪かったけど、前の職場のババアに比べたら子供みたいなもんだった。休みも心のゆとりも比べ物にならないほどに溢れていた。そういうわけで、卒業して二年目の花見の幹事は、僕だった。
 あの年の花見はそれまでにないほどに荒れた。次の日仕事がある奴もいたのに宴は深夜まで続いた。就職して一年経って、ちょうど仕事にたいする不満がたまっていたんだと思う。普段はあまり崩れる事のない奴まで泥酔してしまって大変だった。僕は酔っ払ってぐでぐでになったかつてのクラスメイトを介抱しながら、一人遠くに置いていかれたような気持ちになっていた。
 花見の後、一番仲の良かった英雄に呼び出された。英雄は、学生時代からのバイト先で要領のよさを買われ、店のオーナーから新店舗の店長を任されていた。下北沢の結構有名な古着屋。英雄曰く、雇われ店長なんて休みの取れないバイトみたいなものらしい。売上が悪ければプレッシャーもかかる。バイトのほうがずっとましだとぼやいている。
 学生の頃の英雄は、いつも飄々としていた。皆が課題に追われて殺伐としている時も彼だけは涼しい顔で期限までに秀作を提出する。英雄の作品は、そのデカイ図体からは想像できない繊細さがあった。「ママに手伝ってもらってるのよ」なんて噂が流れるくらいに。
 彼が何かを愚痴るって言うような姿を見るのは初めてだった。居酒屋の壁にもたれかかってため息をつく英雄に僕は何も言えずにいた。次第に英雄も口数が少なくなり、僕等は黙々とピスタチオの殻を剥いていた。
 英雄と呑んだ翌日、僕はバイトを辞めた。辞めると告げた時の、店長の反応は、あっさりとしたものだった。結構、役に立っているつもりだったけど僕の代わりなんて履いて捨てるほどいるらしい。嫌味の一つでも言われるかと思ったのに、別れ際に握手を求められた。
「山本君は若いからさ、まだやり直しきくよ。次何やるか知らないけど頑張りなさいね」
 そういうと彼は仕事に戻っていった。手についた汗の感触が気持ち悪かった。店を出た後、僕は何度もズボンの上で手のひらをこすった。ごしごしと手をぬぐいながら、それっぽく「負けてたまるか」と呟いてみた。
 美穂のメールに返事をするついでに、英雄にもメールをする。彼にも久しく会っていない。何ヶ月か前に来た誘いも仕事が終わらずにドタキャンしてしまった。
「お前もえらくなったなぁ」なんて断りの電話を入れた先で言われたけど、英雄の言葉は素直に聞ける。「ごめん、ごめん」って頭を下げながら謝っていたら、電話を切った後で向かいの席の同僚に「それ、相手見えてないから。無駄」と笑われた。
 コンビニのバイトを辞めてから、僕は当てもないのに闇雲に職探しを始めた。あんまりにも必死すぎて、心配した母親がこっそりと小遣いをくれるほどに。履歴書を何枚書いただろう。それに貼りつける写真がもったいなくなってきた頃、カラーコピーで代用できないかなと馬鹿なことを思いついた。英雄に相談したら、思いがけず怒鳴られた。
「やりたいことは分かってやっているのか」
「お前は、自分ができる事をちゃんといえんのか」
「またコンビニでバイトすることになるぞ」
 どの台詞も、自分なりに考えていたし、言われなくても分かっている事だった。でも、考えるだけじゃなくて、他人から言われなくちゃいけない言葉ばかりだった。僕は、仕事を頑張っているかつてのクラスメイトたちにあてられて焦ってるいだけで、自分のことなんてなんもわかっていなかったんだ。
 目から鱗、ついでにコンタクトレンズも落ちそうだった。それから僕は求人表を見て履歴書を送りつけるなんて無駄な作業を止めた。学生時代に作ったポートフォリオを練り直し、直接会ってくれる事務所に直接持ち込んで今はこれしか出来ないけどって熱く語ってみたりした。どっちかって言うと奥手な僕にしては結構頑張った方だと思う。おかげで、バイト待遇ではあったけど、今の事務所に転がり込む事が出来た。後から聞いたら、本当はこういう飛び込みはNGらしい。どうりで、何処の事務所でも門前払いされたわけだ。今の会社に入り込めたのは、幸運な事にそれを知らないバイトの子が、僕を業者と間違えて室長に会わせてくれたからだ。その人が今の僕の上司。この仕事は、それなりにやりがいもあるし、見返りもある。あの英雄の言葉がなかったら僕の人生はもっと違っていたと思う。
 メールが送信されたことを確認して携帯を置く。デスクの上のカレンダーが目に付いた。
(こっちにもかいておかなきゃな)
 僕は、卓上カレンダーを手にとるとそこにも桜のマークを書き込む。
「お、デートか?」
 振り向くと、そこには室長が立っていた。
「いや、花見です。専門の同窓会みたいなもんで」
「へぇ、色気ねぇなぁ。かわいい子来るのか?」
 室長はにやにや笑いながら僕の頭に書類をバサっとのせる。
「うぁ、なんすかこれ?」
 嫌な予感をもろにうけながら落とさないようにそれを手にとる。多分、この予感は九割方的中だ。
「ま、来週末に向けて頑張ってください。とりあえず目通しておいて。今日のランチ、それのミーティングな」
 振り返ると、室長は手をひらひらさせて喫煙コーナーへと消えていった。僕は、室長から渡された書類に目を通しながら背筋がぞくぞくと寒くなるのを感じた。
 うちの事務所は所長が大手のアパレル出身だってこともあって受注する仕事の質は結構高い。そうは言っても、仕事に好き嫌いはいえない。コネ頼みの分、出来レースみたいなコンペにも参加しないとならないから仕事が重なるのに限度がない。僕みたいな下っ端デザイナーだとお絵かきだけが仕事じゃない。コスト計算したり、プレゼン資料作ったり、サンプル作ったり、もう何でも屋だ。以前、大手の広告会社で働いているやつに聞いたら、普通の会社はそういうのを専門でやる事務方がいるらしい。羨ましい限りだ。
 この書類を渡されたという事は、ランチミーティングが開かれるまでに作業工程のドラフトを作成しなければならない。まずは、日程調整からだ。僕は、書類に示された納期を見て深いため息をついた。そう、花見の週明け。ため息には二つの意味があった。もちろん一つは花見にいけそうもなくなったこと、もう一つはこれだけのプロジェクトに用意された時間がもう二週間残されていないってことだ。

「おい、山本こないだのプレゼン資料の直し終ったか?」
「え、あーはい。今送ります。すんません」
「すんませんじゃないだろうが。しっかりしろよ」
 室長は少し呆れた顔で僕の顔を見ていう。今週に入ってから、事務所全体がひっくり返りそうな勢いで立てこんでいた。家に帰ってしたことといえば風呂に入って着替えを取ってきたくらいだ。後は、ほとんど会社に缶詰。自分の体が臭う。マウスを動かすたびに腋の下から微妙な香りが漂ってくる。これは本当に辛い。目の下の筋肉がピクピクいいだしたら次は指が震えだす。そうなったらもう駄目だ。亡霊みたいに液晶の光を浴びている同僚たちの死角に潜って仮眠を取る。少し前、似たような修羅場に見舞われたときの事だ。二つ先輩の松枝さんがトイレに篭城したって大騒ぎになったことがある。それ以来、事務所のトイレには「ここで寝たら減俸! BY所長」のメッセージが貼られている。
 室長に指示されたファイルを添付してメールを送信する。ふと目に付いた送信日の日付をカレンダーの予定で確認する。今日は、縫製工場に依頼していたサンプルが上がる日だった。無理に頼み込んだ手前、こちらから出向いて取りに行く約束になっていた。誰かに頼めるか……。周りを見渡すが、皆、血走った目でマックと格闘していた。
「室長! ちょっとイーネットさんとこのサンプル取りにでてきます」
「おう、社長さんに宜しくな」 
 鞄を持ち上げた腕に鼻をつける。臭う気がする……。もう麻痺してしまったのか感覚が分からない。明日はうちに帰ろう。ゆっくり風呂に入りたい。枕に顔を埋めて眠りたい。僕はフラフラになりながら会社を飛び出し、タクシーに乗り込んだ。
 工場に依頼していたサンプルは想像以上にいい仕上がりだった。それに気をよくした僕は会社に戻ると猛烈な勢いで仕事を進めた。往復の車でよく眠れたこともあって、予定より早く仕上がった。そうはいっても、朝日は昇っていたけれど。とにかく、これで風呂に入れる。僕はキーボードとマウスをクリックする音が響くオフィスから静かに抜け出した。
 家に帰るとすぐに僕は風呂掃除をはじめた。どうせなら綺麗な風呂に入りたい。徹夜明けの変なテンションも手伝って、これでもかと綺麗に浴槽を磨く。気がつくと、下着がびしょぬれになってしまっていた。めんどくさいから、このままシャワーを浴びながら風呂にお湯を溜めてしまえばいい。僕は濡れてしまった下着を脱衣所の洗濯機に投げ込む。いつもより念入りにシャンプーをあわ立てる。丁寧に体を洗い、半分ほど貯まった湯船の中に体を沈める。シャワーを両肩に交互にあてながら凝り固まった体をほぐす。くつろぎ始めた頃、忘れていた睡魔が僕に襲いかかる。

 ザーザーと水の流れる音がする。
(まずいなぁ、トイレでねちゃったのか……給料引かれるのかぁ)
 おそるおそる目を開けた僕は浴槽にいた。浴槽から溢れ出したお湯が排水溝に音を立てて流れていく。
(やっちまった!)
 思わず風呂から飛び出したものの、長風呂ですっかりのぼせていた僕はその場ですっ転んだ。遠くなる意識の中で僕は声にならない悲鳴を上げた。寒い、唇がぶるぶると震えるのをとおりこして、しびれている。

「おい、起きろ、大丈夫か? おーい、ヤマモトくーん」
 顔をパチパチと叩かれる。どこかできいた事のあるの声がして僕はうっすらと意識を取り戻した。目を開けるとそこには英雄の顔があった。
(ここは何処だ?)
 辺りを見渡すと、どうやらここは僕の部屋のベッドの上らしい。何でここに英雄が? 濡れた布団が体に張り付いて気持ちが悪い。なにか物足りない感じがして布団の中を覗くと僕は真っ裸だった。思いつくことが言葉にならずに口をパクパクさせている僕に英雄がペットボトルに入ったオレンジジュースを投げつける。
「お前さ、何時間風呂はいってんだよ。俺がこなかったら溺れてたぞ」
 英雄はベッドの脇にあるソファの背に腰掛けながらパンをくわえている。
「お前俺がメールしたのに返事しねぇんだもん。迎えにきてよかったよ。ほんとお前命拾いな」
 英雄が僕をここまで運んでくれたらしい。ようやく事態を飲み込み始めた僕は英雄から渡されたオレンジジュースに口をつける。
「今、何時……」
「ん? 俺が来たのが十一時過ぎだったからそろそろお昼じゃね?」
 十一時……オフィスを出たのが五時すぎ。ってことは僕は五時間ちかくは風呂場にいたわけだ。色んな意味で気が遠くなる。
「ほら、目ぇ覚めたんだったらさっさと着替えろよ。でかけんぞ」
「あ、仕事……」
「何、お前今日仕事なの?」
「いや、もういい。休む。花見行く」
 花見がなければ、英雄がこなければ、溺死していたかもしれない。そうなったら仕事どころじゃない。何とでも言い訳をしてやろう。机の上のカレンダーに書き込んだ桜のマークのことが頭をよぎったけど、納期までに残された仕事はもうわずかだ。今日くらい休んでもどうにかなるようなきがしてきた。
 僕はベッドから起き上がり、英雄に促されるままに身支度を整え始める。持つべきものは友達だ。英雄が来てくれなかった時のことを思うと身の縮まる思いがした。
 集合の時間に大幅におくれた僕達はタクシーを捕まえる。僕の自宅がある中目黒から広尾までなんて日比谷線で一本。
「タクシーを使うなんて、僕達も大人になったよね」という僕の台詞に、当たり前だろといわんばかりに英雄は「お前のおごりな」と笑った。窓の外を見ると、目黒川のほとりの桜並木はもう葉桜になっていた。
 車を降りて入ったスーパーマーケットでお菓子とビールを買う。公園につくと、広場で一番大きい桜の木の下に懐かしい顔があった。もうすっかり酔っ払っているのか、真っ赤な顔をした三崎が僕等に気がついて手を振る。ブルーシートの上は皆が持ち寄った惣菜や飲み物でいっぱいになっていた。

「やまもっちゃん久し振りだねぇ」
 シートの上に腰を下ろすと、隣からのんびりした口調で話し掛けられる。
「おお、ふーちゃん。元気だったかぁ」
「うーん。元気だよー」
 穏やかなふーちゃんの笑顔は学生の頃から全然変っていなくて、僕はホッとする。
「今何してるの?」
「うーんとね、プータローみたいな感じ。のんべんだらりー」
「ふーちゃんは変わんないなぁ」
「やまもっちゃんはばりばりやってるんでしょぉ?」
「まだ下っ端だよ。忙しさだけで言うならばりばりどころかパリッパリだね」
 あはははと、ふーちゃんは笑いながら僕にビールの入ったコップを渡してくれる。
 確かふーちゃんは、僕と同じように先生の紹介でどこかのアトリエに入ったはずだった。僕と同じといっても、ふーちゃんは優等生だったからもっと有名なとこ。でも、どこも内情は似たようなものなのだろう。

「あ、その服ふーちゃんの手作り?」
 向かいから話し掛けてきたのは幹事の美穂だ。彼女は今建築事務所の経理をしているらしい。行きの車中で英雄がいっていた。学生の頃、彼女はいつもお祭みたいにキラキラした格好をしていたけど、いまはすっかりOLさんだ。
「うーん。そー。暇だからさー、ミシンばっかりいじってんの」
 ふーちゃんの答えに、シートの中の女の子たちが口々にすごい、かわいい、わたしにもつくってと騒ぎ出す。
「お前等、腐っても服飾でてんだからさ、自分で作れよ」
 いなり寿司をくわえた英雄がちゃちを入れる。意地悪な台詞にブーイングが起こるが、当の本人はそ知らぬ顔で二つ目のいなり寿司に手を伸ばしていた。

「かわらないなぁ。この感じ」
 僕が呟くと、背中に酔っ払いの三崎がもたれかかってきた。
「俺はかわったぞー」
「ん?」
「俺、今度デザイン室いれてもらえることになったんだよね」
 三崎が小さな声でぼそぼそと言う。
「おー、すげぇな。お前んところ超大手じゃん」
「俺もさ、無名の専門出じゃ無理かなぁって思ってたんだけどさ。頑張っちゃうよー俺」
 照れ笑いする三崎に、まわりから「えらーい」「頑張れー」と声がかかる。三年前の花見で会った三崎は、大手のアパレルに就職したものの、配属されたのは営業部で毎日体育会系の乗りに付き合わされて怒鳴られまくっていると嘆いていた。
 今度はコロッケをくわえた英雄がシートの上を横断してこちらへやってくる。
「よし、俺ももりもり食ってどんどんでっかくなるぞ」
 僕の前にあったウィンナーをつまみに来たらしい。「それ以上でかくなったら環境汚染だよー。でかくてじゃまだからー」と先ほどのちゃちに対抗するような声が聞こえる。僕は空になったコップにビールを注ぎ三崎と乾杯をした。寝不足で呑むビールは馬鹿みたいにのどにしみる。

 風が吹く。広場を囲んでいる桜の樹から一斉に花びらが舞う。時を止めるかのような優雅さで舞っている。僕達はおしゃべりをやめて幻想的な花吹雪の作り出す景色をじっと眺めている。

「今日のお花見は、見上げる桜じゃなくて降ってくる桜だねぇ」
 のんびりとしたふーちゃんの声が心地よい。
「見上げてるばかりじゃ首が疲れちまうもんなぁ」
 ビールの缶を片手に三崎が首をぽきぽきとならしている。僕は、自分の中で暖かい気持ちがむくむくと湧いてくるのを感じていた。



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